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【大学通信教育へ社会人編入】忙しいけど3つのメリット

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2009年秋に東洋大通信に入学し、2013年3月に卒業。

バイト生活しながら通信教育でリポートを書きまくりました!

成長できた点、メリットをお伝えします。


私が大学卒業後、大学通信教育に入学したのはなんといっても、

「塾講師として指導に苦労する生徒を担当し、能力と知識をブラッシュアップする必要性を実感した」こと。そしてそれ以上に、

「4大卒なのにまともに報告書も書けないのか」とバカにされていたことを気にしていたというのもありますね。

メリット

1筋道立てて話ができる、文章が書ける

通信教育は普通の大学と違って

「2単位を取りたいならリポート2通と認定試験、4単位とりたいならリポート4通と認定試験」
「スクーリング(実際大学に行って対面で受ける授業)に行っても、認定試験はある」という、「リポートありき」の制度です。

最初の1通が書けなくて3-4週間悩みに悩んでいた時期もありましたが、一度評価されれば怖いものはないので書けるようになります。

ブログの書き方と似ていますが、
「最初に結論、その後に理由を説明する。反論にも触れながら進める」
という一連の流れが頭に入るので説明が怖くなくなります。

何を隠そう、私は文章力が無かったので就活のときも面接でどもり、当然飛んでくると言える定番の質問も答えられないような学生でした。

「大学名、氏名、面接会場までの交通手段と経路、志望動機の順で話しなさい」と言われたのに、

交通手段を話し忘れるレベルです。

理由はたぶん、「話す内容を文章にまとめておく」という工程をやらなかったからでしょう。

文章を書く習慣ができてからは、話すべき内容を書き出すのも苦ではなくなりましたし、書き出したタスクをスケジュールに落とし込むという作業も迷わずできるようになりました。授業中ノートをとらされることはありますが、なによりも「自発的に書ける」というのは今でも私の強みになっています。

2自分の考えをまとめて主張できるようになる

自発的に文章をかけなかった時期にもブログはやっていましたが、たいていその日の不満や愚痴をこぼす場となっていました。

あとから見直して、恥ずかしさのあまり消すことも多かったですし、ネタも内輪すぎて誰もコメントしてくれないなんてことはザラ。

そのうえ、何が言いたいのかうまくまとめられないので電話で話し出すことができなかったりすることも多かったですね。

いまでも電話は苦手ですが、「今回の目的は○○についてだから、まずこのことから切り出そう」と落ち着いて考えられるようになりました。

また苦情の電話を入れるにしても、以前は感情的に振舞ってしまうことが多々あったのですが、

「まずは事実確認をして、相手の真意を確認しよう。自分の主張したいことは□□だから、この話をふってみよう」
というスタンスが多少はとれるようになりました。

頭の中で組み立てた文章や流れに沿って話すと脳が疲れるのですが、言っておきたいことはきちんといえるようになりますし、言えずに悶々としていることが減りましたのでストレスも少なくなりました。

また、いうべきときに意見を言えるようになったのでからかわれたりしてもきっちり言い返せる(しかも相手とその後も交渉できる程度の言葉で)ようにもなりました。

3作品の見方がかわる

文章を書く習慣ができると、「この言い回しで通じるか、面白いと思ってもらえるか」考えるようになります。

すると、小説や漫画の読み方まで変わるんですね。

これまでは漫画を読み捨てているだけでしたが、自分で文章を書いて意見を発表するようになると

「この作品の、ここのコマが斜めになっているのはスピード感や不安を表しているのか」
「人物の表情アップで説明してもよさそうなのに、画面上から写すアングルにして状況説明をしているのか」
といった学びの視点で作品を楽しむようになっていきます。

純粋に作品に没頭する機会は減りますが、画面に紛れ込んでいる手掛かりや登場人物の表情から推測したり、頭を使って作品を楽しめるようになりました。

これによって、感情的に「この作品つまらなかった、理解できない」と投げ出したり批判したりせず、「なぜこういう表現の仕方をするのか、なぜこんな結末にしたのか」深く考えるようになりました。

そうした考え方ができると、「今こういう騒ぎや運動が起きているけど、背景では何が起きているんだろう」と考えるようになりますし、テレビのショッキングなニュースに一喜一憂することもグッと減りました。

まとめ~文章力を鍛えると、脳も鍛えられる

ここまで読んでいただきありがとうございました。

文章を書けるようになれば、筋道立てて話ができるようになることは想像がついたのですが、どうしても自分が苦しい立場に立って意見を主張しなくてはならないときに多少は落ち着いて話をすすめることができるようになるとは想像もつきませんでした。

感情的に怒鳴ってしまえばそこで交渉はおしまいになりますが、自分の主張することを淡々と並べていく分には決裂しないからです。

また、分析的な視点も手に入るので、世間の大多数から酷評されている作品の真価を確かめることもできますし、表現効果の意味について考えることもできます。文章力を鍛えることで、自分が本当に好きなもの、良いものに巡り合える可能性が高くなります。

 

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