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なぜ若者ばかり?ライトノベル主人公の年齢

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小説の主人公はなぜ若い?

小説、ライトノベル、漫画の主人公の年齢はさまざまですが、たいてい若者が多いですね。私が中学生のときに遊んだ『バウンティソードファースト』(playstation)の主人公、ソードは31歳の男性で、その当時の年齢設定としては非常に珍しかったと覚えています。

しかし、なぜ年齢の高いキャラが漫画やライトノベルの主人公になりにくいのか。考えられる原因としては、読者が主人公に共感できるかにかかっているのではないでしょうか、そのうえ主人公が若いほど、ストーリーの中で伸び代があるともいえますよね。。主人公の年齢設定が高い映画との比較もしましょう。

物語とは成長、変化の記録

たいていの物語とは、「主人公が異界に旅立つか巻き込まれる」「主人公が失った何かを取り戻すために旅に」出ます。主人公にとって考えの変化、これまで信じてきた信条を揺さぶられるショッキングな出来事を通じて、成長していくわけですね。若い読者は、困難に立ち向かう主人公が傷つき、挫折から復活する姿に共感し、感動します。そうした読書経験によって、日々の悩みが解決したり、もやもやした思いを作品を通じて再度考え直したりできます。文学や漫画は確かに金銭的な価値はないかもしれませんが、つらい時のあなたに道筋を示してくれる点で、千金の価値を持ちます。

この考えによれば、老人であろうと中年男性であろうと、変化していくのであればライトノベルの主人公になりえそうですね。実際の主人公像は10代後半から20代半ばほどの年齢層に集中しがちですが、理由を考えましょう。

年齢が高い主人公のことを読者が理解しにくい

主人公の年齢が、読者よりも高すぎると、考えについていけない、理解できない」ということがあげられるでしょう。なぜなら私も、「山月記」を読んだ時、李徴の過ちは理解できたものの、李徴の気持ちは全く理解できなかったためです。30半ばを過ぎた今思えば、「李徴は確かに秀才だったし、見た目もよかった。でも実際は人の中に混じって仕事をするのが不安だったのではないか。」とも考えるようになりました。

おそらく李徴は秀才であるがゆえに、上司に仕事でのミスをとがめられて叱られることや、恥をかくことに耐えられなかったのでしょう。人里離れた場所で竹林の七賢よろしく、詩歌を作って名を上げようとするも当然うまくいくはずはなく、仕事で失敗を重ねるうちに耐えられなくなり、虎の姿になってしまうほど心が参ってしまったと考えられます。おそらく40代半ばの私であれば、もっと違った観点で発見をするはずです。

年齢が高い主人公の物語は、10代のあたりで触れてからしばらく忘れ去られたようになり、20代30代で挫折した時にしみじみと思い出して読み直すような性質を持っています。それだけ読解も難しく、奥行きも深い作品であることが多いと言えましょう。

そうした文学作品を読むのに必要な読書体力・基礎力をつけるためにもライトノベルやジュブナイルは最適です。マニエリスムの紹介で著名な高山宏氏も、ハイカルチャー(上位文化)を支えるのはサブカルチャー(下位文化)であるとおっしゃっています。下位文化といえど程度が低いというわけではなく、むしろハイカルチャーの影響を背景に持つものであると、私は考えています。

 

映画の主人公はなぜ年齢が高いか

映画は料金が漫画よりも高く、子供が一人でふらっといくのが難しいこと、地方であれば車がなければアクセスできません。また子供にとってストーリーが複雑、理解が難しいことが多いのも要因でしょうか。(家族全員で見られるアニメ映画は、ここでは除外)

例えば小学生の時にみた「紅の豚」は飛空艇乗りの主人公がカッコいい、という感想しかありませんでした。30代になると主人公と同年代の女性が悲し気な顔で吐き捨てる「男は勝手なんだから」という憤りに共感するようになりました。幼い時の私もきっと、飛空艇乗りポルコのように、自分勝手に振舞っていたことでしょう。過去をあまり語らず、気ままに飛空艇を駆る姿、彼のように自由に、なににも縛られず生きてみたいと何度思ったことだろう。

そんな私も30代半ばで子供を持ったものの、自分勝手なパートナーや子供の姿、散らかされた家の中を見ては怒り、むちゃくちゃなことをやってケガをしたときに青ざめながらもなんとか病院につないで事なきをえた母親としての経験があると、見方が変わる。「ポルコ、自由に飛び回りたいのはわかるけど、心配をかけるんじゃないよ」といいたくなる。これも見方の変化と言えましょう。

そして最近アマゾンプライムでみなおした、映画「ゴッドファーザー」もそう。応酬のはてに、わが子を失ったボスが涙をながしながら「もうたくさんだ」とつぶやく。セリフよりもそのつらい表情、空気は私を正面からバンと強く打ち据え、子供を持つことでその悲しみをやっと理解できた。小学校高学年当時の私は、「ここで引いたら中途半端になる、徹底的にいけばいいのに」という、冷血漢のような考えで見ていたので全く理解できなかった。

年齢層が高い主人公が出てくる作品と言うのは、いくつかの段階に分けて理解を求めるものと言える。ファーストインプレッション(特に幼少期)では「理解できない、どうして、なんで」という疑問やなぞばかりが残る。そして観客が年齢を重ね、人生のステージを一つ越えたときに見ると「なるほど!」と手を打ちたくなる。シリアスな映画ほど、主人公の年齢は高く設定されるのは、人生も年齢を重ねるほど苦労や苦悩が積み重なることとけして無関係ではないでしょう

最後に

ライトノベルやゲームの主人公が年齢を若く設定されているのは、プレーヤーや読者の年齢を考慮したためでしょう(現に、愛読している『ゴールデンカムイ』の作者も、「壮年の猟師、二瓶鉄造を主人公にしようとしたら止められた」というのも、雑誌を購読する読者の年齢を考えてのこと)最近は、メタルギアソリッドのように、主人公の年齢が高めのゲームも発売されていますが、家族そろってリビングでみんなで遊ぶタイプの作品というわけではないですよね。

ライトノベルの読者年齢が高くなれば、それだけ深みのある主人公設定が必要になりますから、年齢も上がります。また書き手が年を重ねることで考えにも奥行きができ、物語に2重3重の意味を持たせることもできるでしょうが、そうなるとライトノベルの範疇を超えているともいえますね。

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スガワラ

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