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はじめに
『同人女の感情』という作品に触れたとき、少しだけ違和感を覚えました。
否定したいわけではないんです。ただ、自分が長年創作に向き合ってきた中で感じてきたものと、あまりにも空気感が違っていたから。
その理由を、少しずつ言葉にしてみようと思います。
「楽しい創作」と「つらい創作」、どちらもリアル
この作品に登場する人たちは、みんな目を輝かせながら創作をしていて、ものすごく楽しそうに見えました。
アイデアが止まらず、それをアウトプットすることに純粋な喜びを感じている——そんな姿はとてもまぶしくて、素敵だなとも思います。
でも、私自身の創作体験は、少し違いました。
絵や小説を書いているとき、そこにあるのはむしろ「孤独」や「自信のなさ」、時には「自己嫌悪」だったりします。
楽しんでいないわけじゃないけれど、それは常に心と向き合いながらの作業であって、「楽しい!」と表現できるほど明るいものではなかったのです。
オタク的バックグラウンドと“感情の開示”への警戒
もう少し個人的な話をすると、私は子どもの頃に自分の「好き」を否定される経験を多くしてきました。
親や周囲からの無理解で、趣味を堂々と語ることができず、いつの間にか心の中に“ガード”ができてしまったんだと思います。
だからこそ、「私、これが大好きなんです!」と感情をまっすぐ表現することに、ちょっとした怖さを感じてしまう。
創作のよろこびを素直に語る登場人物たちに、どこか現実感が持てなかったのは、そんな背景があったからかもしれません。
創作中のリアル:キラキラよりも、涙と自己嫌悪
創作に向かっているとき、私の中ではいつも何かと戦っているような感覚があります。
うまく表現できないこと、自分の未熟さに直面すること、時間とエネルギーとの戦い……。
中学・高校時代、作品を描いては「こんなものでいいのか」と悩んでばかりでした。
鉛筆の線は自信たっぷりだったのに、ペン入れをした瞬間、自分の限界に打ちのめされる。
完成しても、満足することなんてなかなかなくて。
そんなふうに生み出された作品は、かわいく掲げるよりも、「エイリアンでも産んじゃったかも…」と戸惑いながら見つめるような存在でした。
創作へのスタンスは人それぞれ。
だからといって、『同人女の感情』という作品を否定したいわけではありません。
あのキラキラした世界に救われる人もいるし、「創作って楽しい!」と心から言える人がいるのも素敵なことです。
ただ、自分のように「創作=苦しいけどやめられないもの」として向き合っている人間にとっては、その世界が少し遠く感じるのも事実です。
「嫌い」という言葉には、決して“悪意”だけではなく、「ちょっと違和感があった」「あまり共感できなかった」というニュアンスも含まれています。
そしてその“違い”こそが、創作文化の広がりを示しているのかもしれません。
まとめ
『同人女の感情』が描くような、情熱とよろこびにあふれた創作の姿に共感できなかったのは、私自身の経験が少し違っていたから。
創作は私にとって、楽しいだけじゃなく、自分の限界と向き合うしんどさや孤独もついてくるものでした。
でも、そんなふうに“つらい”と感じながらも書き続けてしまう自分も、やっぱり創作が好きなんだと思います。
楽しさにあふれた創作も、苦しさとともにある創作も、どちらも本物です。
それぞれのスタイルがあっていいし、その多様さこそが創作の魅力なのかもしれませんね。