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「かわいい」は、いつから「かわいい」だったのか?
現代の日本では、「小さくて、守ってあげたくなるような存在」が“かわいい”の象徴です。
しかし、かつて中国では、痛みと努力を経て作り出された姿に“美しさ”を見出す文化がありました。
その代表が、宋代から清代にかけて広まった「纏足(てんそく)」という風習です。
纏足とは何か?──簡単な定義と概要
纏足とは、少女期から足を布で強く巻き、成長とともに足の骨を内側に折り曲げることで、足のサイズを極端に小さく保つ習慣です。
この足は「金蓮(きんれん)」と呼ばれ、理想的なサイズはおよそ「三寸(約9cm)」。
「歩く姿が蓮の花のように揺れる」とされたこの小さな足は、美と気品の象徴として、長らく中国の女性たちの間で受け入れられていました。
なぜ「三寸金蓮」は理想とされたのか?
この極端な小ささに価値が置かれたのは、見た目の可憐さだけではありません。
- 教養ある家庭で育てられた証
- 我慢強く、礼儀正しく、従順であるというイメージ
- 家からあまり外出せず、慎ましく生活していることの象徴
つまり纏足は、見た目の“かわいさ”以上に、「しつけられた身体」としての価値を帯びていたのです。
男性側から見れば、動きにくさ=純粋さ・無垢さの象徴。それが「理想の妻像」と結びついていたことも、背景として理解しておく必要があります。
「苦痛」「忍耐」「誇り」──美は努力の上に成り立つとされた時代
もちろん纏足には、身体的負担がともないます。
ですが当時の価値観では、それは「通過儀礼」であり、「家の名誉」として肯定的に捉えられていた側面があります。
- 辛抱強さが家庭の美徳を体現する
- 美しさは努力の結果であるべきという価値観
- 家族・親戚・近隣に誇れる“装飾的身体”としての役割
こうした文脈では、痛みは決して無意味なものではなく、「自らの価値を証明するための代償」でもあったのです。
現代の価値観とのギャップ──フェミニズム的視点からの再解釈
現代から見れば、纏足は女性の身体を物理的に拘束し、美の理想像に合わせるための強制とも取れます。
フェミニズム的な視点では、これは**「男性に好まれる形に改造される身体」**という構図に他なりません。
しかしながら、当時の女性たち全員が「被害者」だったわけではなく、むしろそれを誇りとし、社会的地位を得る手段と捉えていた例も多く存在しました。
このような複雑な背景をもつ纏足文化は、単純に「良い・悪い」といった二元論で語れない側面を多く持っています。
『薬屋のひとりごと』に登場した纏足──あの違和感の意味
人気小説『薬屋のひとりごと』の中にも、ひとりだけ「纏足の女性」が登場します。
物語ではその設定が、ある“事件”のトリックを見抜くためのヒントとして使われました。
猫猫が「纏足の足では登れない」と言い切るシーンは、文化や身体への理解の深さを示す印象的な場面です。
しかし、この作品では文化的背景や歴史にはあまり触れられていません。そのため、作品をきっかけに纏足を知った読者にとっては、「なぜそれが登場したのか」「どんな意味があったのか」を補完する視点が必要になるでしょう。
まとめ:かわいさとは、誰の視点なのか?
纏足は、現代の私たちにとっては“痛ましい風習”に映るかもしれません。
ですが、その背景には「美とは何か」「女性の価値とはどこにあるか」という、深い問いが横たわっています。
かわいさは、時代と文化によって形を変えます。
そしてその「かわいさ」が、誰のためのものなのか──それを見つめることは、現代を生きる私たちにとっても大切な視点ではないでしょうか。
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