Contents
はじめに
今回も作品作りとか字書きの端くれやってる自分が、親からの「お前才能ないわm9(^Д^)プギャー」という圧力をかわして書けるようになったいきさつをかいてみようと思う。
思うに、字書きというのは「美しくてキラキラしているものがサイコーで、自分もそうなりましょう」という薄っぺらいスローガンを粉々に砕かないといけない。
そのうえで、「自分の正体が、ヘドロとか見るに堪えないものをごたまぜにしたものを人間の皮で包んだもの」だという事実から逃げずに向き合い、そのヘドロを作品にまぜこむのが字書きの真髄の一つだと思っている。ちなみにヘドロを混ぜることで、自分が20年近く悩まされた「悪意ある声」問題も解消された。
「自分はダメだ、書く才能がない」という呪いを解く方法。それは「文学=高尚できれいで素晴らしく、特権階級にしか書けない芸術品」という思い込みを捨てよう。
作家にあやかって名付けられたのに何も生み出せない現実
私の実親は、命名にあたってとある作家の「本名とされる名称」をそのまま使って名付けた。
文章がうまくなるように、と無邪気に考えて名付けたらしい。
親子というのは難しいもので、自分が生み出したものは自分の好きなように操縦できると思う節がある。
文章のうまい人にあやかって名付けたのだから、勉強させないとまずいと思ったのだろう。
勉強に打ち込まないから、という理由でいろいろなものを取り上げられるので、次第に「自分が本当に欲しいものは何か」がわからなくなった。
自分が何かに夢中になっていると、親がかぎつけて取り上げにくるので、何が好きなのかと言うことを隠すようになった。
それでいて、父は何かにつけて「永六輔は若い頃から売れっ子の作家だった」とか「タモリは大学在学中に売れてしまって、退学せざるを得なかった」という話をしていた。
名づけの由来を聞かされていたし、父からその話をされるたびに「若いうちに立派な作品を書けないお前は努力不足だ、だめな人間だ」と暗に言われていると感じていた。
これは別に勘違いでもなんでもなく、私が何か言い間違いをするたびにいかに不勉強であるか責めてきたし、偉人の警句を引いて何かにつけて批判してきたためだ。
親の目論見通り、書き物をする道へと入っていったが、それは逆にいえば、「紙と鉛筆ならば取り上げられない。勉強に使うものだからと言い張ることができる」ツールを用いるのが字書き・絵描きの道だった。
しかし、プレッシャーもあったし「偉人や大作家に比べてお前は」という比較ばかりで私は書くことができなかった。
どす黒い感情をぶつけてもいいと思ったらかけるようになった
親から高尚な文学の話や哲学者の話ばかり聞かされていて、自分はそこまでの能がないと落ち込んでいた。
格調高い文章も書くことができなかったし、中3の時に書きかけになったものを高校生で完成させたときも、文芸部の顧問には「子供っぽい。〇〇賞には出せない代物だ」といわれて門前払いを受けた。
世の中には、高校生で「天才作家」ともてはやされる人がいて、大学時代には書いて書いて書きまくる化け物がたくさんいる。その中で私は大した作品も生み出せず、親の期待に応えられず朽ちていくのだと思っていた。
当時の私の家庭は経済的に苦しかったので、早くに作家デビューして稼ぎたい気持ちがあった。小学生のときから印税生活に本気で憧れるほどに。
さて、話を戻そう。
センター試験対策のビデオ講座(2000年以前は予備校に直接通うのがメジャーであり、ネット講座のほうが受講料は安かった)で、とある講師がこういっていた。
「文学と言うのは、不謹慎な感情や不道徳な考えをのせるものですよ」と言い切ったのだ。その穏やかな、優し気な口調に対して過激な言葉が出たので、本当に驚いた。
そこから「文学ってもしかして、自分の中のヘドロを混ぜてもいいのか?そんなの許されるのか?」と思うようになった。これが18歳くらいの時だ。
執筆に対して吹っ切れたのは20代半ばくらい。二つ目に通っていた東洋大で受講していた文学講座で出された課題だった。最初の「橋」では何をかいたらいいかわからず、橋にかんするそれっぽいうんちくを並べただけのものを提出した。なんとか合格はもらえたが、「これは小説でなはい」とおしかりを頂いた。まことにその通り。
そして二回目のお題が「白」だった。これを見て私が何をかいたかというと、「縁が欠けた白い茶碗の置かれた、狭苦しいリビングにいる男女の短編」だった。
白い色に対するプラスのイメージに対し、「白はポジティブなイメージなど持っていない、嘘っぱちだらけの少女漫画みたいな色だ」とばかりに思いのたけをぶつけた。
講評は「前回よりもマシ」と書いてあったが、それでも小説の範疇に入ったのだ、自分の中のヘドロを混ぜていいのだと思ったらだいぶ楽になった。
作品を書けるようになるまでに、家族以外の方々からの言葉やアドバイスがたくさんあったおかげでこうしてかけるようになったし、自分の中に渦巻くヘドロや、自分の土留め色の汚らしい本質に向き合うことが小説なのだと教えてもらうまでにずいぶんと迷惑をかけてきた。メンヘラぶりも発揮していた。
そしてかけるようになってある日気づいた。
世の中で持ち上げられている作家も、実はどす黒い感情などの塊を抱えているじゃないか、と。
心の中にある「悪意ある声問題」に悩まされていたが、創作活動を通じて消した
そもそも本とか文章書こうという行為は、ハッピーな人ならばやらない。日記でいいのだ。
できる事ならば小難しいことをこねくりまわさない、ストレスフリーの方が幸せ度は高い。でも書かなくては生きていけない人と言うのはいる。
字書きを始める前はいつも頭の中で声が聞こえていた。大抵物騒な内容が多くて、目の前にあるものを壊せだとか、倫理的にまずいものが多かった。時代錯誤なものもあって、毎回そうした考えや声が頭の中に浮かぶたびに自分はひどい人間だ、サイコパスだ、と思い悩んでいた。
多分これを読んだ方は「妄想が入ってるから統合失調かな」と思うかもしれない。残念ながら、普通に日常生活を送れているみたいなのでどうも違うようなのだ。悪意たっぷりの声が、正気の状態で流れてくるので余計にきつい状況だ。
一時期はSAT式のカウンセリングも受けたが、イメージ療法は合わなかった。「ハンモックに横たわって、暖かい風が吹いている状況をイメージして」と言われても、そうしたイメージが嘘とわかっているからむしろつらかった記憶しかない。
軽い安定剤も何もかも効かない、となったとき、そのどす黒い考えやおぞましい声を消す方法を思いついた。
それが創作だった。創作で登場させた人物に、自分の心の中で聞こえる声をしゃべらせた。その通りに行動させ、深く嘆き悲しませることをした。頭の中にわいてきた考えを、自分の作品に降ろしてしまうことで最近はずいぶん楽になった。
これは大きなメリットがあった。
自分の頭の中に聞こえてくる危ない考えや物騒な声を誰かに相談すれば、強制入院や通院を勧められる。残念ながら、そんな時間もないし、カウンセリングを受けても心の問題は解決するもんじゃない。
しかし、絶えず自分に突き刺さってくる心の声や、わき上がってくる考えを否定せずに作品に封じ込めてしまうことで作品が一つできてしまう。しかもそれを読んで「面白い」と言われたりする。もちろん、「この作者はおかしい」と思われたり、ブロックされることもある。
しかし、字を書くというのは、自分の長年の悩みを解消してくれることにつながっていった。
世の中に出ている作品と言うのは売れる題材であることを前提として、「自分のみっともない部分、心の闇」をさらけ出した結果の産物だと思っている。
決してインクとつけペンで優雅に書き上げたものではなく、眼を血走らせ、時には獄中でボロボロの紙に書いたものが作品となる。そうした現実を見た時に、「自分には書けるものがない、才能がない、だめだ」という呪いを解くことができた。
さいごに
字を書く、作品を書くというのは何もインクとつけペンで優雅に書き上げるような上品なものではない。
自分の中に流れる汚い感情、みじめなものを直視し、切り分けて冷静に観察して作品に混ぜていく事で作品が出来上がることがある。
感情を吐き出し、加工することで「頭の中で響く声」を和らげることができたし、結果的に作品をかくの闇」をさらけ出した結果の産物だと思っている。