『薬屋のひとりごと』第1話において、主人公・猫猫(マオマオ)がシャクナゲの花に手紙(文)を結びつけて妃に届けた場面があります。このシーンは物語の伏線として印象的ですが、なぜ彼女はそのような手段を選んだのでしょうか。そこには日本の古典文化、そして猫猫という人物の教養と背景が色濃く表れています。
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猫猫がシャクナゲに文を結んだわけ
日本の古典文学、特に『源氏物語』には「花に文を添える」文化がしばしば登場します。たとえば「夕顔」の巻では、源氏が女性から和歌を受け取ります。女性からの歌なので、かなり積極的。でも、扇に歌を書き付け、白い夕顔を添えるセンスの良さに驚いて、源氏は女性に興味を持ちます。このように、文と花を組み合わせることは、単なる手紙のやり取り以上に、相手に対する敬意や教養を示すマナーでした。
猫猫もまた、この文化的マナーを知っていた可能性があります。彼女が選んだ手段は、決して思いつきではなく、古典的な貴族文化を踏まえた非常に洗練された方法だったといえるでしょう。
シャクナゲの花が持つ意味
作中で猫猫は、おしろい(白粉)に含まれる鉛によって中毒が起きていると見抜きます。鉛白粉は肌を美しく見せる一方で毒性があり、古今東西、実際に被害があったことも知られています。
猫猫は紙や筆を持たない状況で、スカートの布を裂いて文字を書き、それを何かに結んで送る必要に迫られました。そこで手近にあった花──シャクナゲを選びました。これは以下のような理由が考えられます:
- 近くにあったため、咄嗟に使えた
- シャクナゲが有毒植物であることから、知識のある者なら警告の意味に気づく可能性があった
- 花に文を添えるという形式自体が、最低限の礼節を示す手段になった
シャクナゲは全草有毒であり、蜂蜜や蜜にも毒があることが知られています。そのため、単なる装飾ではなく、知識を持つ者には明確な"警告の符号"として伝わりうる選択だったのです。
妃に文を届ける難しさと、花というクッション
宮中の妃に無作法に物を届けることは重大な非礼となり得ます。特に、破れた布に文字を書いただけのものを直接手渡すのは、現代でいえば包装もせず贈り物を投げて渡すような行為に近いでしょう。
しかし、そこに一輪の花を添えることで、最低限の形式美と教養が加わります。これは猫猫の判断力と、花街での育ちによる“センス”のなせる技といえるでしょう。彼女は花街で男たちが持ってくる文や贈り物の見栄えを見て、梅梅や白鈴たちと「どの男が粋か」などを語っていたことが想像されます。
宮廷の侍女たちの教養レベルと猫猫の特異性
作中で描かれる宮廷の侍女たちは、実は一様に高い教育を受けているわけではありません。多くは人さらいなどによって集められており、文字の読み書きすらできない者もいます。たとえば小蘭は文字を書くことができませんでしたが、これは特別なことではありません。文字を読み書きするには、幼少期からの訓練が必要であり、それができる侍女の方がむしろ例外的な存在なのです。
この点から見ても、薬学に精通し、筆がなくとも即座に記述し、さらに文化的マナーを考慮して花に文を添えた猫猫は、極めて異例な教養と判断力を持つ存在であるといえるでしょう。
鉛入りのおしろいと中毒の描写
作中の毒の正体:鉛と皮膚吸収
カバー力と見た目の美しさとのトレードオフ
江戸時代にも実例がある“鉛白粉”のリスク
おしろいに鉛を入れるなんて、とんでもないと思っていました。でも、鉛を入れると皮膚の凹凸にスーッとなじみ、きれいな肌に見えるそうです。過去のものかと思ったら、研究なさっている方がいたので驚きました。
当時はちゃんとメリットがあると思われたので、鉛入りのおしろいが使われたのですね。
猫猫の教養と花街での経験
- 花街で文と花を見てきた経験
- 梅梅・白鈴らとの日常会話の背景
- 「センス」「教養」への感度が高いキャラ設定の裏付け
花街の遊女は、当然相手の財力を判断します。当然、男性から手紙も届けられたはずですので相手がどんな人なのか、猫猫も談義に交じって聞いたかもしれませんね。
『薬屋のひとりごと』におけるシャクナゲと文のシーンは、単なる美的演出ではなく、古典的マナー、薬学的知識、そして人間関係の緊張感が複雑に絡み合った高度な描写です。
猫猫が選んだのは"最善ではないかもしれないが、最も意味のある手段"でした。その一輪の花には、彼女の知識、文化的教養、そして命を救いたいという強い意志が込められていたのです。