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「月が綺麗ですね」はどうして「好きです」の意味になるのか

「愛してる」と言うくらいなら「月が綺麗ですね」と訳しなさい。

ってよく聞きますよね。

じゃあどうして「月」が「好き」ということになるのでしょうか。

Contents

「月が綺麗ですね」が告白になる理由~日本人は愛を直接伝えないから

古典の時間に勉強した和歌。
実はあれ、ラブレターなんですよね。

しかも和歌の技法と教養フル活用して
相手をどれほど大事に思っているか
アピールしないと勝負にならないのです。

木を削った木簡に恋の手紙を書くわけにはいかないので
紙を使うのですがこれが高いこと高いこと。

しかもTwitterよりすくない文字数でやり取りする
というルール付き。

当然ムダな言葉は書けないので
当時の人は言葉を圧縮していました。

掛詞のように二つの意味を持たせたり。

枕詞は余計な言葉を使わなくても
相手の頭にすっと情景が浮かんできます。

じゃあなんでそんな
面倒なことをしなくちゃいけないかというと…

「ラブレターの出来によって
女性に会えるかどうか決まるから」
なんです。

字がうまいのは当たり前。
言葉づかいがちゃんとしてるのは当然。
それでいて一途な気持ちが見えるもの。

そうでなければ女性の元に手紙を
届けてもらえないわけです。

「好きです。付き合ってください」
では和歌にもならないし
相手の心も動かせないんですね。

和歌の技法を使って
どのくらい大事に思っているか
アピールしないと勝負にならないのです。

直接的な表現よりも控えめな表現が
好まれるようになったのは
和歌というルールのおかげでしょう。

「月が綺麗ですね」が告白になる理由~日本人の愛は穏やかなものだから

月を見るのは「遠く離れた場所に思いをはせること」
という意味もあります。

これって「タレントの〇〇さんと
ライブで同じ空気を共有して幸せ」みたいな
感覚と近いでしょうか?

月と恋愛に関する結びつきは
はっきりした答えがないみたいなので
私の考えを書いてみますね。

現代とはまるで違う?平安時代の恋愛事情は

平安あたりの恋愛事情は今と違って
昼間のデートがありません。

デートに出かけたりしないで
男性が女性の家に来るというのが
当時の習慣です。

「いきなり相手を家に呼ぶって
度胸あるよね」
と思いますよね?

実は相手の人となりや内面を
判断する手掛かりが
「和歌」なんです。

文字がキレイで気が利いているのは当たり前。
紙の種類はオシャレでいい香りがするか。
季節の花の枝がついているか。

手紙で相手が本気かどうかをみきわめて
男性を家にあげるわけです。

しかもしかも、、、

女性と会えたから「向こうの親公認」
の仲というわけではありません。

こっそり行って夜明け前に帰り
会えたうれしさを手紙ですぐ送らなくては
いけないんです。

本気の女性ならなにがなんでも
三日間連続で通わなくてはならないという
きつい条件付きです。

月が消えかかる仕事前の時間に
急いで手紙を書いて部下に届けさせなくては
いけません。

交際期間中の男性にとって
月や空の様子は時計のようなもの。

当然行きと帰りに
のほほんと月を見ている時間はないでしょう。

月を見るのはきっとおだやかな時間

無事女性の家に三日通ったら
正式な結婚となります。

「平安時代は通い婚!」なんて思ってたら
ある程度のところで男性は妻と同居したそう。

まあ、毎回通うんじゃ大変だし
当たり前っちゃ当たり前かもしれません。

交際期間中は手紙を送りそこなったり
一日でも通えない日があったらそこでアウトです。

会えた余韻にひたって月を見ながら
浮かれているわけにはいかないのです。

でも結婚すれば月の様子を気にして
大急ぎで手紙を書いたり通う必要も
ありません。

たぶん妻と同居して
軒先でのんびり月を見ることも
あったでしょう。

恋い焦がれた女性と時間を気にせず
のんびりおだやかに月を眺めている。

こういう何気ない時間を過ごせる
幸せを「愛」だと漱石は考えたのでは
ないでしょうか。

 

まとめ

以上まとめます。

日本人はそもそも「愛してる」と言わないし
直接的な表現ではデートにもこぎつけなかったでしょう。

月と恋愛を結び付ける考えはあるにはありますが
まだよく研究されていないそうです。

逢瀬の最中は急いで帰り手紙をすぐ送らなくてはいけません。
のんびり月を見ている時間はないわけです。

でも結婚すれば時間に追われることもなく
月を二人でのんびり見ていられるときもあったでしょう。

妻と「月を見て」過ごす穏やかな時間と愛を結び付けたのではないでしょうか。

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スガワラ

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