良くない条件で従業員を使い捨てにする、ブラック企業という単語を聞かない日がない今日この頃。
日高屋で有名なハイデイ日高の理念はブラックの反対にあるんですよ。
すべては従業員の幸せのため、利益を出しすぎなくていいという神田正会長の発言は仏様の化身かなにかかと思わせるくらいです。
なんでこんなすごいことをはっきり言いきれるのか、気になって調べたらその理由が深かったんです。
Contents
アルバイトや社員が利益を生むから
日高屋は採用に苦労するから大切にしたい
1973年にラーメン店「来来軒」をオープンし、1983年には株式会社になったものの時はちょうどバブル時代。
求人をだしてもなかなか人が来なかったので神田さんが電柱に求人広告を貼ったほど。
従業員を集めるのに苦労したといいます。(これは今でも大変だそう)飲食店に従業員がいなければ商品を出すこともお金を受け取ることもできませんからね。
私は外食で働いたことはありませんが、一時期「鍋を振って本格チャーハンを作れ」と家族に言われたことがあり、結構おもい鍋を振っていました。
暑かろうが寒かろうがキッチンに立って料理を作り続ける大変さ。左腕が筋肉痛でぱんぱんになりましたが、料理がこれほど重労働かと身にしみたものでした。
日々やけどや体調不良に悩まされるであろう中華料理のキッチン。現場にいる方の苦労は、計り知れません。
従業員とお客を幸せにしたい会長の思い
現場を大切にするハイデイ日高は、店長に自分で判断することを認めています。また週休2日、ボーナス支給はすべて従業員を大事にしたいという会長の思いなのです。
株式会社にするために上場したのも「大企業の従業員なら低金利でローンが組みやすくなる、信用が得られるから」というものです。
ウソのように聞こえるかもしれませんが、神田会長はお抱え運転手も雇わずテレビ番組出演には電車を乗り継いでくるほどの倹約家。ひたすら従業員のために、を地で行っていますね。
日高屋創業前に神田会長が苦労しているから
神田さんの生い立ち
神田さんの父である金重(きんじゅう)さんは戦争中に胸を負傷して働けなくなったので、母親のなかさんが4人兄弟を養っていました。
当時住んでいたバラック小屋の近くにゴルフ場があったので、朝9時から6時間くらいキャディーとして働いていたといいます。
キャディーさんというとプレイヤーのバッグやクラブを持って移動しながら、プレイをサポートするのが仕事です。
当然ゴルフクラブは何本も入っていますから重くなりますし、天候問わずの仕事なので雨の日などそうとうしんどかったことでしょう。
通勤は徒歩で行き帰りと1時間かかるので朝8時半には家を出て、3時半に家に帰ってからすぐに掃除洗濯夕飯づくりをするなかさん。
夜中まで針仕事をして、朝は子供たちが起きる前から朝食を作っているという働き者でした。
生活は貧乏でしたが、母の背中を見ていた神田さんはこう確信します。※「これだけ苦労すれば、できないことはない」と。
中学1年生のうちから母についてキャディーの仕事を手伝い始めた神田会長は、ゴルフを通してプレイヤーの人間性や性格を見抜く目を養ったと断言します。※『母の教えⅦ』P146から引用
長い時間プレーしていると、うまくボールが入らなくてイラついたり怒ったり、物に当たる人もいたかもしれません。
キャディーを務める神田さんのお母さんに失礼なことをいう人もいたのでしょう。「母は怒らなかった」というあたり、神田正さんがなにかしら憤りをかんじていたと考えられますよね。
でも仕事のためだ、子供のためだとグッとのみこんでたんたんと仕事をしていた。こんな状況を経験しているからこそ、神田さんはひたすら謙虚なのでしょう。
失敗も成功もすべて感謝するものだから
これは「すべてのことに対して自分が責任を取る」という考え方ですね。神田さんがラーメン店を始めないかと声をかけられて、資金がないことを理由に断ったらお店の大家さんが資金面で助けてくれたといいます。
しかも保証人になってくれるほどだったので、よほど信頼されていたことでしょう。
もちろん成功ばかりでなく失敗も多かったのですが神田さんがくさらずにひたすら努力したこと、助けてくれた人たちのおかげもあってここまで会社を大きくすることができました。
失敗に見えることでも、成功のタネを見つけられれば逆転できます。失敗したことに落ち込んで進むのをやめればそこから退化するだけです。
こうした「つまづいても何度でもあきらめず立ち上がる」神田さんのスタンスは、母親であるなかさんの影響が大きいでしょう。
どんなに仕事がつらくても懸命にこなし、ひたすら子供のために働く献身的な姿。
彼女は弱音を吐くこともなかったでしょうし、困難に直面してもあきらめずに取り組んでいたと考えられますよね。
そんなけなげな背中を見ていれば、神田さんも弱音を吐いちゃいられないと考えるようになることでしょう。
神田さんという不屈の経営者を育てたのは、母親の背中だったということです。
コロナの影響で赤字、どう挽回する?
番組放送前の予想
昨今のコロナ禍、自粛によって、「電車を降りて駅前の日高屋でビールを飲みながらおつまみをつつく」というビジネスモデルが成り立ちづらくなりました。
他の外食産業も閉店や撤退を迫られている、かなりきつい状況ですよね。でも神田会長は赤字のこの状況をばねにして業績を伸ばそうとしています。
「そんなことできるの?」と思ってしまいますが、神田会長は創業後にやってきた不景気についてこう評価します。不景気だから融資も通りやすくなったし、家賃の高いテナントがあいたから入れた、と。
皆が弱気になっているときは強気で、皆が強気のときは慎重にいくという、ちょっとギャンブラーのような考えを持った方です。
もしかすると素泊まりできるようなホテルの近くに出店を予定してるかもしれませんね。宿泊しているということはアルコールの心配をしなくていいわけですし。料理を毎日作るのはたいへんですから、ふつうに惣菜需要はありそうです。
番組の感想~赤字でもボーナスを払う
コロナという要因があるから仕方ないのですが、最大赤字30億円の日高屋。それでも社員1人につき6万円のボーナスを払うというのですから太っ腹です。会長や社長としては、今回の赤字は社会的な要因であって誰のせいでもないというのがその理由です。
確かに大半の会社であれば給料カットをして少しでも赤字を減らそうとするはずです。でも現場にいる従業員としては生活がありますから、給料を減らされたぶん「安く使われている」という見えない怒りがどうしても出てきます。
日高屋の利益の9割は日高屋の営業からきているので、従業員にそっぽを向かれた時点で危機を迎えます。だからこそ「従業員を大事にする」スタンスを貫くことにしたのでしょうね。
番組の感想~ロードサイドにも出店!
これまでは駅前のテナント、しかもアクセスのしやすい1階に出店してきた日高屋。今コロナウイルスの影響で都心の一等地がいつもより安い家賃で借りられるようになりました。
今後はロードサイドへも出店し、これまで引き込めていなかった客層にもアプローチしようとしていますが1つ問題があったそうです。郊外の店舗は地価の都合上、テナントが都心のものより広くなります。
日高屋にとって利益を上げられるベストな坪数は30坪ですから、60坪以上のテナントではこれまでの営業ノウハウが生かせません。だからお豆腐屋さんをはじめとした別の業界とテナントをシェアしていこうとしています。相手にとっても半額で借りられるのですからありがたいでしょう。そういう意味では両方に利益のあることです。
それにしても一点気になったのは、会長と社長がいまだに現役であること。80歳の会長が電車を乗り継いでテナントや周辺の道路状況を見に行く、70歳を超えた社長がいまだに中華鍋を振ってメニューを考えている。普通の企業では考えられないことですよね。
たしかに会長の長年培われてきた営業の勘が必要なのはわかりますが、会長社長に並ぶくらいの経営手腕をもつ次の人材が出てくるでしょうか。
まとめ
1日高屋は苦労して採用しているから従業員を大事にする。中華料理はひたすらフライパンを振ったり暑い中体力勝負。だからできるだけ辞めずに働いてほしいという考えがある。
2神田さん自体すごく苦労してきた。「母は怒らない人だった」と回想しているので、きっと許しがたい態度をとるお客もいただろう。それでも生活のためにグッと耐えて仕事をする母の背中を見てきた神田さん。傲慢な態度を取れるはずはないだろう。
3すべての成功も失敗もめぐりあわせと捉える神田さん。ふてくされることもなく、独特の嗅覚と考え方で成功への道を模索しつづけるストイックさ。
4ロードサイドへ出店したとき、テナントをシェアすることで30坪経営を実現。私の予想である、「素泊まりホテルの近くへの出店」はまだ実現していないよう。
芸能人のヒストリーを聞くと「貧乏だった」というかたはかなりいるでしょう。でも神田さんの状況は「今すぐ働かないと生活ができない」という極限のものでした。母が働き、神田さんも働くなかできっと理不尽な目に遭うこともたくさんあったでしょう。
最初に住んだ家がバラックであり、同級生にからかわれたのがすごく嫌だったと回想されているくらいですから。でもそうしたどん底からどうにかして抜け出してやるというハングリー精神も同時に培われたことでしょう。
困難な状況をなんとかしたいという思いが成功につながり、神田さんの精神を磨き上げたとも言えます。
参考資料
『ナンバーワン企業の儲けるしくみ』幻冬舎
『母の教えⅦ』財界研究所
関連記事[blogcard url="https://peridotsugawara.com/hidakaya-kandakaityo"]